蘇分強は、スケールの大きな抽象画を描くことで知られた著名な芸術家である。内容的にも言語的にも世界的広がりを持つ色彩画家であり、彼の表現力はいかなる地理的条件にもとらわれず、詩的で音楽的な響きを持つ。蘇は、1966年、海岸で名高いマレー半島東海岸の閑静な都市クアンタンで生まれ育ち、マレーシア、フランス、日本に住んだ経験から、英語、マレー語、中国語、フランス語、日本語にも堪能である。1990年、初の個展をシンガポール、エンプレス・プレース博物館で開き、以後マレーシアを始めニュージーランド、日本、イタリア、台湾、モーリシャス、レバノンの画廊や美術館、芸術祭等で多くの個展を開催してきた。
1987年クアラ・ルンプール中央芸術アカデミーに於いて、当時の講師が芸術家としての蘇の才能を発掘。その後5年間 (1988-1993)、彼はパリに居を移しフランスの文化や芸術的環境の中に身を置く。パリ国立高等美術学校(École Nationale Supérieure des Beaux-Arts de Paris)で西洋的な絵画の描き方、鑑賞の仕方を修学する一方、多くの博物館、美術館に足を運び、巨匠の絵画を見直すことで芸術の鑑賞力を磨く。特に印象派の描く色彩に啓蒙を受け、同時に抒情的抽象運動などの西洋の芸術運動にも出逢う。
1998年から、蘇はマレーシア・クアラルンプール及び日本・尼崎の彼のスタジオ間を行き来するようになり、日本では芸術、時間、自然に結びついた文化を学ぶ。浮世絵の巨匠、北斎を好み、具体芸術家等を発見。東洋及び西洋美の両方を修養することで、自己の絵画に難なく別々の文化を混ぜ、滑らかに溶け込ませた。
2010年、蘇はマラヤ大学の元副学長、Tan Sri Dr. Ghauth Jasmonに招聘され、同大学の2代目アーティスト・イン・レジダンス(2010-2014)となる。初代はDato’ Ibrahim Hussein (1971-1978)であった。マラヤ大学は彼にとって、常に自己芸術の技法探求と発展に資する完璧な場所であった。現在でも多くの彼の絵が学内の学長ビルやR&Dビル内ペントハウス・フロアのロビーに飾られている。
蘇分強の芸術家としての進化は彼の作品に反映されている。その中では自然の雄大さを視覚的、精神的に表現しようとする試みがなされ、最近では、年月をかけて培ってきた複雑で幅広い技法の発露が見てとれる。自然美や四季の移い、中国書道、古典音楽の美しさ等に触発された彼の感性が多彩な色使いとその質感に表れている。それは人間の歴史や文明の持つ精神性を反映して、ある種の積極性、楽観性、力強さを誘うものである。彼の芸術的創造には特徴がある。最初に心に表れたものが形となり、語りだして個性を持ち、時に主張さえするのだ。すべての色層、筆使い、線、点、斑点までもが計算しつくされ、注意深く描かれている。すべての印跡が意図的なのだ。抽象が実体となって、調和と魂の均衡を見出している。